ありがとう、エアジャム。ありがとう、ハイスタンダード。

せっかくだから写真をもらってから書こうと思ったけど待ってるうちに次のライブが始まっちゃうので夜中なのに書き出してみます。
多分クソ長くなるから興味ない人は飛ばして下さい。
(雄ちゃんとか、よっくんとかw) 





ちなみに現在ATTACK FROM THE FAR EASTのDVDを再生中。おかげでなかなか筆が進みません。





【Hi-STANDARD】ってバンド、単語は俺らの世代の中ではほぼ当然のような共通言語だった。
ハイスタが好きって事で仲良くなった人間もたくさんいる。
何を隠そう現在MEANINGのPAをやってくれているベンジーと仲良くなったキッカケはハイスタだった。



それから俺は別にAir Jamに出る事を目標にしていたわけでも、ハイスタと対バンする事を目標としていたわけでもない。



もはや憧れの域を通り越していたからだろう。




でも人生にはどんな運命が待ってるかも分からず、MEANINGは健さんが社長をつとめるPIZZA OF DEATHからCDを出せる事になりKEN BANDともBBQ CHICKENSとも幸運な事にステージを共にできた。
ツネさんとは磯部さんバンドで一緒にライブをやらせてもらった。
難波さんとも難波さんバンドで一緒にライブをやらせてもらった。



正直俺はこれだけで充分満足だった。



今この人達が熱意を注いでやっているバンドと一緒にやれれば充分だった。



そんな風に思っていたけど今年の2月、横浜FADにいる時に健さんから掛かってきた電話を俺は忘れもしない。
Air Jamを東北でやるからMEANINGに出てほしいとの事だった。
そんなの断るバカいないでしょーーーーーーー。 笑




どんなに有名なバンドの誘いよりも、どんなに大きな会場でのライブよりも俺には意味のあるものなんだから。




それからホームページで出演者の発表や、エアジャム限定の物販や、タイムテーブルの発表や、色んなエアジャムに関わる事が9月まで続いた。
そしてやっと先週末、その日を迎えた。






俺らは初日から遊びに行っていた。
この日はdust boxから始まって、いつも見るdust boxと違ったように見えた。
俺はステージ袖に行ったり、客席に行ったり、一番後ろの方まで歩いてみたり、色んな場所で見ていた。 
なんかすげーキラキラしてた。すげー良いライブだった。
やっぱりAir Jamってイベントがバンドをそうさせてるんだなって改めて思った。



それから俺はハイスタの出番までまるでお客さんのようにブラブラして、酒を飲んで、はしゃぎまわった。 


夜になりいよいよHi-STANDARDの出番となった。
何度も何度も涙腺を刺激してくるセットリストでやばかったけど、
いよいよヤバかったのはまさかのENDLESS TRIPをやった時だった。





別に俺はこの曲が特別好きってわけじゃないんだよね。
(どっちかと言うとハイスタの中だと真ん中ぐらいの位置だったw)
それでもやるはずがないと思っていたこの曲をあの3人が演奏している姿に涙腺が崩壊してしまった。 


本当に色々な事を乗り越えた中でハイスタをやるって決めて、
エアジャムをやるって決めて、そして曲を演奏している姿に涙が出た。
(この日からENDLESS TRIPの俺の中ランキングが上がったのは言うまでもない)




そんな素敵な一日目が終わり、仙台市内のホテルに戻りそっこーで眠りについた。 
(遊び疲れてたおかげで緊張する暇がなくてよかったw)





相変わらずAir Jamでも寝坊するMEANINGメンバーに安堵感を覚え、MEANINGチームはAir Jamの会場へと向かった。 




 

思い入れ無しコンビ.jpg

エアジャムに対して思い入れの薄いコンビに挟まれる隼人君

 









ちなみに初日からこの男はずっと俺らと行動を共にしてくれていた。
(っていうか行きの車に乗せてやったw)



 

チンジャム.jpg

ご存知THINK AGAINのチン君 



で、リハを終えて準備やらをしているうちにOPENして、気がついたらRADIOTSが始まっていた。 




いつも以上に気合いに満ち満ちていたRADIOTSはいつもと同じように、ライブハウスでやってみせるかのようにひっかきまわして、最大級のエネルギーを置いていった。
YOSHIYAさんはどこで見てもやっぱりYOSHIYAさんだし、すげーカリスマ性だった。
そして俺らの出番前にHIROさんが俺に「やっちまえ!」って何度も言ってくれたのがうれしかったなぁ。
気合いが入った。 





東京からORIONのクボタとオリタやOllieのスネちゃんたちも遊びに?冷やかしに?応援に?来てくれていた。
なんか理由はどうあれこういう所まで来てくれたってのがうれしかった。
普段一緒にライブをやってる知り合いのバンドや友達や先輩がメールをくれたり、Twitterで激励のメッセージで背中を押してくれた。


 

 

 



こんな言い方をすると語弊があるとは思うけどこの日は本気で伝えにいった。
上手に演奏する事や、キチンと間違えずに歌う事よりも、「伝える事」に重きをおいていた。 



結果、ライブハウスでいつもやってるMEANINGが出せたと思う。
うまく出来たかどうかは分からないけど、いつも通りのMEANINGであった事には自信がある。 




あの土地で、
Hi-STANDARDが主催するAir Jamで、
俺が支援活動を始めるきっかけとなったSLANGのKOさんとBRAHMANのTOSHI-LOWさんと同じ日のステージで、
支援活動を始める中で俺に最初に力を貸してくれていつの間にか親友と呼べる存在になっていたTHINK AGAINのチンがいて、
そんな支援活動の中で知り合って見ず知らずの俺らを家族のように大切にしてくれる石巻の千葉さん達の前で、
いまだに大船渡の仮設住宅に住み誰よりも涙もろくて思いやりのある夢ママが見ている前で、
そして何よりも俺らのこんな活動を支えてくれて、普段からライブハウスに足を運んでくれてた皆の前であのステージに立てた事に意味があった。



ってかさぁモッシュピットの方に突っ込んで行ったら知ってる奴らの顔ばっかりなんだもん。


最高過ぎ。笑



 

airjam3.jpg


 



とにかく素晴らしい景色だったなぁ。
川君とバンド組み始めた頃にこんな日が来るなんて想像できなかった。
っていうかあんなの想像できるわけないよなぁ。
例えば他のイベントであの場所に立てても、あの日あそこに立つ意味とは雲泥の差だ。






Kemuriで純粋に感動し、
ブルーハーブで全身に鳥肌が立ち、
SLANGで震えて、
やっぱりハイスタでまたもや涙した。 






終わった後に南さん(Kemuri)と話してたんだけど、
自分がライブやってる時以外はお客さんみたいだったね。って。






なんだか夢を超越したような2日間だったけど、俺らの旅はまだまだ続くわけで、
MEANINGの次のライブが名古屋のハックフィンってのも自分たちらしくていいよね。笑




DEAD AT BAY AREAで幕張でライブをやった次のライブは初台WALLだったし、
SKULLSHITのイベントでさいたまスーパーアリーナでライブをやった翌日は渋谷の乙だったし、
きっと俺らが天狗にならないように仕組まれてるのでしょうね。 






だからライブハウスに遊びに来てね。
沿岸部にできたライブハウスに遊びに行ってね。 







Air JamのMCの第一声で言ったように俺らは
東京から来た、ライブハウスから来たMEANINGだからね。