The Unbroken Heart part2

 

DSC00799.JPG時間が空いちゃうとうまく書けそうにないので、
絶賛忙しくて体調も良くありませんが、これを綴って伝える事が必要だと感じたのでいつも以上に拙い文章かもしれませんが、先月末に陸前高田市に物資を持っていった話を書きますので、もし興味があればお読み下さい。

 

 


ちなみに
http://www.meaning666.com/blog/2011/06/the-unbroken-heart-part1.html
が前編になりますので、まだ読んでない方はこちらからどうぞ。

 

 


前回のブログの反響が本当にすごくて、コメントを珍しく要求してみたら本当にたくさんのコメントを頂けて、感動しました。
もちろん一つずつちゃんと目を通しましたし、ちょっと前に全部返事もしました。 
ライブに行っても色んな人から色んな声が聞けて、
それが少しでも何かやろうとしてる人の後押しになってくれれば最高です。

では前回の続きから書きましょうかね。

ice.jpg地元のアイスうめー。


DSC00795.JPGはい。いきなりシリアス。
 こういう景色が当たり前の所での生活を考えてみて下さい。
(ちなみにここまで倒壊してても援助や補助はでないそうです)

■3日目(6月22日)
前日の物資を配りまくった疲れからか、前日はフジナミのおばあちゃんの家でご飯を食べて、お疲れ様って事で軽く酒もコンビニで買い込んだわけなんですが…
 

 


ハヤト君はだらしない事にカンチューハイを半分も飲まずして撃沈してしまいました。
 


よっぽど疲れてたんだと思います…。三人で飲んでた部屋から無言で立ち去り、少し横になるつもりが次の日の朝まで目をさます事はありませんでした。

 

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その間にチンとフジナミは色々と話してたみたいですけど。
覚えているのは星空がすさまじくきれいだった事です。
地震と津波さえきてなければ本当に素敵な所だなって思ってた事ぐらいがうっすら記憶に残ってます。

 


そんな疲れきった状態で眠っていたら、朝の7時ぐらいにめちゃくちゃ大きな揺れを感じて、俺とチンは同じタイミングで目を覚ましました。
ニュース速報では震度5弱って言ってました。
その直後、町に設置されてるスピーカーのようなものからサイレンと津波警報が響き渡りました。
一瞬自分がどこにいるか分からなかったってチンは言ってたけど、
まさしく俺らがいたそここそ被災地でした。
ニュースでは津波は50cmだと言ってましたが、現地の情報だと(目と鼻の先が海だからね)1m50cmだったそうです。
そんな情報すらまともに流す事のできないメディアにチン君はいらだちを感じてたみたいです。

今まさに自分たちが滞在してる場所がニュース映像に映ったり、
いつも東京で見るニュースとはまるで様子が違いました。
俺らが現地にいるのを知ってる人たちからはたくさんのメールをもらいました。ご心配をお掛けしました。 

でもこれが陸前高田市だと日常にあるんだなと思ったけど、
津波警報が出たりしたのは3月11日に以来だったそうです。
揺れる事はあってもでかめの地震は久しぶりだったみたいで、町の人たちは動揺している様子でした。
そりゃそうだよね。一回でも大地震と津波の脅威を身をもって体験してればそうなるよね。
俺みたいな無知ってのが一番おそろしいと、自らの気持ちを引き締め直しました。




俺らは旅行で来てるわけでも、遊びで来てるわけでもないって事を。
 

この日は地震もあったけど、大雨注意報も出ていて、
近くの話だと海沿いは走れないとか、山側は土砂崩れの恐れがあるとか色々と情報が入ってきていました。
なのでお昼過ぎまでとりあえず待機していました。
(ちなみにチンは片タマ出して爆睡してました。チンだけに。)

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やっとお昼過ぎぐらいから車も走れて、動ける事が分かったので、
当初の予定通り小学校に向かいました。
でもまだ授業中だったのでそのまま職員室に通してもらい、校長先生とお話をさせてもらいました。

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人数が多いのでどうしても手配りっていう事は難しいって話になったので、じゃあここの小学校はお菓子とかを先生に預けるので後日配って下さいという事で話が落ち着いた。
本当は直接渡したかったけどあまりにもこっちのエゴを押し付けすぎて迷惑をかけちゃったらなんの意味もないからね。

なのでとりあえずその先にある陸前高田保育園の場所を教えてもらい、
そこの保育園で小さい子用のお菓子やおもちゃを配り終わった後に、車の荷台に空きができる事が分かってたので、保育園を回った後にまた買い出しをして帰ってきますという約束をして小学校を後にしました。 

その後はお菓子とおもちゃを持って教えてもらった陸前高田保育園に向かいました。
と言っても泊まってるフジナミの家から車で10分ぐらいの距離なんだけどね。
ちなみに現在の保育園は廃園になる予定だった場所を使っています。
元々の保育園は津波の被害にあったみたいで、今は廃園予定だった場所を使ってる状態なんです。

ちょうど俺らが着いた時は園児たちのお昼寝の時間だったので、
園長さんたちにまず話を通して、俺らがどういう人間で、何をしに来たのかみたいな事を伝えました。
ほら、見た目がこんな感じだからちゃんと説明しないと警戒されちゃいますからねw

そしたら父兄が迎えに来る前に時間ができるそうなので、
そのタイミングで俺らのために時間を作ってくれる事になりました。
なので一旦家に戻り、荷物を更に仕分け(どういう風にしたら渡しやすいかなどを考え)
待機していました。
約束の時間も近づいてきたのでまた保育園に着いたら、先生方が園児を集めてくれました。 
まずおもちゃを1人1つずつ配る(選ぶ)事をして、それから段ボールに入った大量のお菓子は後日おやつの時間などに配るという事で代表して二人の園児に渡しました。

おもちゃは男の子の物もあれば女の子の物もあったので、
大きく全部を広げてから3人1組ぐらいの感じで選ぶスタイルでした。
すごく真剣に選んでる姿がなんだか妙にほほえましかったりして、ずーーーっと悩んじゃってる子とかもいてすげー面白かったなぁ。
ボールや縄跳び、シャボン玉、ステッカーセット…本当に色々な種類があったけど
全部喜んでもらってくれたみたいで本当にうれしかった。

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俺が思ったのは、ここにいる園児達が結局オトナになって行くに連れて、
今の現状を引き継いでいかないといけないわけであって、そしたら現場で汗水たらしてる人達の存在もめちゃくちゃ大事だけど、子供たちも同じぐらい大事なんじゃないかなって思ったから、今回はお菓子やおもちゃをたくさん届けたいと思ったんです。

 

だから子供達が一瞬でも楽しい時間を持ってくれたのならそれで良かったなって。

 

 

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 用意したお菓子とおもちゃ

 

 

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年長さんなので礼儀正しかった。(一部を除いてw) 

 

 



 

 


ちなみにtwitterをやってる人はリアルタイムでこの状況を見ててくれたと思うけど、
この後1時間ほど、子供たちと汗だくになって遊びまわりました。
本当に肩車を何回したか…数えきれないぐらいにして、案の定その日の夜のうちに身体が悲鳴をあげていました…。

 

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でも引っ込み思案っぽい小さな子とかを肩車してあげた時のうれしそうな顔ったらなかったなぁ。
やっぱり女の子とか小さな子は言いたくても言い出せないみたいだからね。
やんちゃなボーズ達はガツガツくるんだけど、そういう子がいると遠慮しちゃうんだろうね。

なんか肉体的にめっちゃくちゃ疲れたけど、気持ち的にはすごいエネルギーもらった気がしました。
 

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ちなみに同じ場所には午前中に菅野美穂さんが来てたようで、大ファンのチン君は非常に落ち込んでいました。
 
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散々子供たちと遊んだ後は疲れる身体にムチを打ち、
1時間半の山道をチンのドライブで移動し、大きなスーパーでお菓子やジュースを大量に買い込みました。
不思議な事に惨劇の陸前高田市から車で1時間半走っただけの場所には東京とほぼ変わらない生活が広がっているんです。
お店に物は溢れ、みんなが普通に笑顔で生活してるんです。

でもお年寄りや、車を無くしてしまった方々にここまで買い出しに来るのは相当な労力だし、まず無理だなって思いました…
運転中に通ったファミレスに、当たり前なんだけど人がたくさんいて、楽しそうにしてる人たちがいっぱいいる光景に違和感というか…なんだか分からない苛立ちみたいなのを感じてしまいました…。
 

とりあえずスーパーで買い物をしたんだけど、片道1時間半もかかる時点で当初約束していた時間よりも大幅におくれてしまっていたので、電話させてもらったら、もう夜になると職員は帰っちゃうので玄関にでも置いといて下さいとの事だった。
まあ、そりゃそうだろって感じです。
わけわかんないやつが物資渡したいからって言われて夜遅くまで待つ義理なんてないからね。
だから俺らも時間を気にせず気楽に買い出しをしてました。
みんなから集めたお金もまだ残ってたので、帰りのガソリン代を残して、ここでほとんど使い果たしました。


 
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そこからまた1時間半かけて山道を運転して小学校に着いたのは夜の9時を回ってたと思います。
車の中の物資を玄関に置くべく3人で運んでいたらフジナミが、
 
「先生が待っててくれたよ」

って俺に教えてくれました。 

 


田舎の方の9時なんてもう夜中みたいな感覚なのに…それでも待っててくれて…、
きちんと全てを手渡しで受け取ってくれて…その気持ちに本当に感動してしまった。
俺らの気持ちがエゴみたいになってたのに、
何一つ嫌な顔をせず、本当に心から喜んでくれて…感無量でした。

その待っててくれた先生が、
「1つだけ聞いてもいいですか。どうして見ず知らずの私たちにそこまでしてくれるんですか?」 
と言われたので…
俺とチンは一瞬黙ってしまった。
そんな事聞かれると思わなかったし、
当たり前の事をしてたから返す言葉に一瞬詰まってしまった。
人が困ってるから手を差し伸べるのに理由はないから言葉に詰まってしまった。
電車やバスで、老人や妊婦さんに席を譲るのに理由がないように。

 
 
理由や動機なんかどうでもよくて、本当に心から先生が喜んでくれているのが伝わったので、
きつい思いをしてまで車を走らせ、体力の限界に挑んで、物資を届けて良かったと本当に思った。

そしてその先生に
 
「必ずまた来ますから」
 

とだけ伝えて小学校を後にした。
 

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こうして俺とチンとフジナミの物資を届ける旅はひとまず終わった。

と思ったら最後に小さな箱が車に残ってた。
保育園で配ろうと思ってたぬいぐるみがいくつか入った箱だった…。
しまった~!と思ったけどフジナミの咄嗟の機転で小学校の隣にあった、
保育所(?)のような入口の前に同じように物資が積んであったので、
そこにメモ書きだけして置いてきた。
lasttoy.jpg
これで本当にこの旅は終わった。
でもまだ復興は一つも終わってはいない。
なんだったら生活が始まっていない人たちばかりだ。
 
 

俺らはやり始めた時点でのリベンジを誓ったから、
俺らはこれからも動いていくし、形が変わってもやり続けていこうと思います。

今回の俺らの動きを見て、自分たちも少しでも動いてみようって思ってくれたら、俺ら的にはそれにこした事はありません。
今更ねぇ〜、とか思う人もいるかもしれないけど、俺らだって決して早く行動にうつしたわけじゃないです。
だから人を助ける行為にそんなの関係ないと思います。やりたいと思ったらやればいいんだと思う。
 

難しく考えないでやれば良いと思う。 
 

またこういう活動を続けていこうと、向こうに着いた初日に決めたのでまた何かしらの形で協力してくれる人がいたらよろしくお願いします。
こういう事に遅いも早いもないので、このブログを読んで少しでも心が動いたり、何かしようと思った人がいたら俺は引き続きTシャツを売り続けるので手に取るだけでもいいし、話しかけるだけでもいいので接してみて下さい。
 
 

最後にこういった行動に出た俺とチンを支えてくれた身近な皆様には本当に感謝しても仕切れません。


忙しいのに化粧水を用意してくれたアナタ、遠くから水を俺の元に運んでくれたアナタ、「交通費にでも使って」と手渡してくれたアナタ、快く仕事の休みをくれたD
さん、 そして理解あるバンドメンバーの皆、本当にありがとうございました。

 

 

 

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今から何かを始めても決して遅くないよ。